It's K's life.

けーくんの備忘録です。2018年夏からケンブリッジのMBAに行きます。三島由紀夫と海老蔵に似てます。

今更ヨーロッパ訪問記 ホロコーストを辿る 上.アンネフランクの家

どうもこんにちは、kkunです。

備忘録として色々書くとかなんとか言ってたのに全然更新してませんでしたが、ちょっと時間ができたので、昨年10,11月のヨーロッパをバックパッカーした際の記録を残そうと思います。

色々考えることの多かったヨーロッパですが、そこまで時間があるわけではないので、「ホロコーストを辿る」を二回に分けて共有します。

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ホロコーストを辿る 上.アンネフランクの家」

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アンネ・フランクはドイツに生まれましたが、ナチスを恐れ、家族とともにオランダのアムステルダムに逃れました。しかし、1940510日、オランダはドイツに占領され、反ユダヤ政策が取られます。安全を得るため、彼女達の家長であるオットーの事務所の未使用の部屋に2年間隠れました。

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隠れ始めてから数か月の内に、家族の友人4人が一緒に生活を始めました。実に狭い空間に8人が住んでいたのです。彼らの住む部屋に繋がる階段は本棚の裏に隠されていました。

隣人に見つからないよう、日中は窓を閉め、音をたてないようにしていました。トイレの使用すら避けていたほどです。しかし、1944年、ゲシュタポに見つかった彼らのここでの生活は終わりを迎えました。そして、唯一オットーのみが生き残りました。

 

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アンネは1929年に生まれ、人生の長い時間をナチスの反ユダヤ政策の下で過ごしました。13歳の誕生日に、彼女の両親から贈られたのがかの日記です。 2年間の隠れ家での生活でも彼女は心を動かす言葉とともに日記を書き続けました。

彼女は日記の中で彼女の哲学、思想を書き綴ります。戦争が終われば日記を出版したいとも記しています。しかし、彼女はナチスに捕まり、アウシュビッツに入れられました。そして、病にかかった彼女は15年という短い人生を収容所で終えました。

  

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 以下はアンネの日記からの引用です。

 

“Where there's hope, there's life. It fills us with fresh courage and makes us strong again.” 

 

“And finally I twist my heart round again, so that the bad is on the outside and the good is on the inside, and keep on trying to find a way of becoming what I would so like to be, and could be, if there weren't any other people living in the world.” 

 

“I know what I want, I have a goal, an opinion, I have a religion and love. Let me be myself and then I am satisfied. I know that I’m a woman, a woman with inward strength and plenty of courage.”

 

私は、こんなに美しい言葉で想いを綴る15歳の少女を知りません。

その命が、美しいハートが、ヒトの社会の狂気によって壊されたことが悲しくてなりません。

ホロコーストを指揮したアイヒマンは「あくまで仕事であり、責任は自分にはない」と裁判で語りました。そうした当事者意識の欠如というものは社会という大きな流れの中で、どうしても生まれてしまうものです。

悲劇を繰り返さないためには、たとえ周囲がどのような状況であろうと、自己の倫理・正義というものを見失わない強い意志が求められるのではないでしょうか。