チャリでお遍路行ってみたよ。そのTakeawaysを振り返ってみた。
また書こうと思いますが、5年勤めた国際協力機構を退職することにいたしました。溜まった有休を活用し、7/3-18の16日間、自転車でお遍路をしてきました。
目的は3つ。
- 自分を見つめ直す:社会人になっていろんな仕事・人・国・社会と関わる中で、怒り・悲しみ・妬みといった負の感情に心を捉われ、自分の感情の昂りを抑えられなくなることがありました。喜怒哀楽の激しさというのは人間的魅力に繋がるものでもあると思うのですが、負の感情に身を委ねることを是とするようになると、魂の質を下げてしまうのでは無いかとも感じました。動じない自分、正の感情を大切にできる自分になりたい、短いお遍路でそこまで到達できるとも思いませんでしたが、何か得られるものはきっとあるだろうと期待しました。
- 宗教・仏教と向き合う:高校の時アメリカに一年留学し、カトリックとプロテスタント両方のホストファミリーを経験しました。その頃から社会の基盤としての宗教の重要性を感じていたのですが、社会人になってから中東担当としてイスラム教やコプト教(原始キリスト教的なやつ)にどっぷり浸かる中で、ますます宗教が人や社会に与える影響を強く感じました。カイロでもよく仏教のこと聞かれましたが、適当にしか答えられない。一度がっつり能動的に学んでみようと考えた次第です。
- 自転車で旅する:
私はサイクリストです。小学生くらいの頃から毎週末実家の近くの山を自転車で走っていました。大学でも自転車競技部の新歓行ったりしました。これまでしまなみ街道や琵琶湖一周、お伊勢参り、熊野古道等々、長距離の自転車旅行は何回か行ったのですが、エジプトに駐在してからの3年間は全然行けてなかったのですね。嗚呼、しっかりと自転車に乗りたい!足をパンパンにさせて山を越えたい!!風を切って坂を下るあの感覚を存分に味わいたい!!!そんな思いが募ったわけです。
ということで、退職の前の有休を使って行っちゃったのです、お遍路へ。台風の中。色々と感じたことはあるのですが、ここでは備忘録まで、いくつかTakeawayを残します。
- 負の感情に自分を合わせないことの大切さ
大雨、真夏、急傾斜、、、多くの障害とぶつかる中、案の定膨大な量の負の感情が押し寄せる。辛い!しんどい!暑い!もうやだ!!最初は自然と口から漏れるこれらの言葉にただ身を委ねるだけでした。でも10日くらいが過ぎたところでふと気づいた。しんどいって言って意味ある?まぁ確かに暑いし足も痛い。でもその負の感情を言葉に出せば、言霊に囚われてもっと辛く思えてくる、、、負の感情に自分自身が合わせて、負けに行ってしまってるように思えました。そこから逆のことを試すようにした。急傾斜の坂で辛いなら、頑張れー!と叫んでみたりとか(人に見られたけど)。もうやだと思ったら、まだまだいける、とマインドセットしたりとか。そうやってみると、お遍路中の辛いポイントも、少しはマシに感じました。
こういう小さな心がけをちょっとずつ積み上げていけば、少しは負の感情をコントロールできるようになるのではないか、そう思いました。
- 人生山あり谷あり
旅行を人生のメタファーにすることはよく行われますが、今回改めてその気持ちがわかりました。自転車で旅していると、登り坂は永遠にも思えるほど辛い。でもその先に待ち受ける下り坂を風で切って走ると、ああ、やっぱり自転車旅行最高だよ、ってなる。たとえ登り坂に比べて下り坂がどんなに短くても、それでもその一瞬の幸福は、至福の時といって差し支えない。人生もきっとそんなものなんだと思う。そう思えば辛い時期があっても超えられる。その先の景色を見たいと思える。
- 仏教とは何ぞ
今回、仏教って面白いと思いました。何が面白いか?私の場合はその多様性。お遍路の88寺院は全て空海が開祖の真言宗なんですね。かくいう私は浄土真宗。浄土真宗系(浄土宗と一遍宗も)はいわゆる他力本願の思想。親鸞の悪人正機説って聞いたことあると思います。ようするに悪いことしてもそれを悔いて、御仏に救済を祈れば救われるという考え。カソリックに近い。かたや真言宗は密教系で、自力本願。祈ることも大事ですが自ら徳を積んで修行し、自分を高めることが求められる。お遍路なんてその最たるものですよね。プロテスタントに近い。同じ宗教と思えないくらいその点考え方が異なる。おまけに真言宗は開祖の空海を若干、神格化している印象がありました。お遍路のどの寺にも、本堂とは別に大師堂という、空海を祀るお堂があって、そちらにもお祈りしないといけない。さらに、お祈りのメインフレーズは「南無大師遍照金剛」。大師って空海のことですからね。空海さんは仏教史上でも類を見ないレベルのスーパーエリートだったらしいので、気持ちはわからんでもないのですが、露骨な偶像崇拝は僕の価値観とは合わないと思いました。やっぱり私は浄土真宗かな。
- 人は支えられている
お遍路にはお接待という文化があります。お遍路している人に、地元の人が餞別をあげて、自分の分もお遍路してもらうというものです。これが本当にありがたかったです。初日と二日目の夜はお接待で無料で泊めていただきました。翌日以降も毎日何かをいただきました。お菓子、桃、ジュース、お茶、みかん、梅。お遍路最難関の寺の一つ雲辺寺(標高900m)に行く道は本当に地獄のようで、ヤバイとなったのですが、民家の方に庭に招かれて涼ませもらいながらペットボトルのお茶を二つもいただきました。泣けた。
でもこういった人と人の交わり、気遣いって、別にお遍路だけじゃなくてそこかしこに社会にあふれている。普段もそうした人の優しさに支えられている。それを改めて気づけて、大事にしよう、感謝しようと思えたのは、嬉しい発見でした。
- ドM以外にはオススメしない
全然話変わりますが、言葉通りです笑 ほんと意味わからん山奥とかに寺多すぎ。ああ、あともう少しで次の寺だ!と思ったら急傾斜の坂に突入したりする。自転車にはほんときつい。何十キロ自転車押して歩いたかわかりません。しかもお寺までの距離が徒歩の場合を想定して表示されている場合も多く、その場合は車道を走る自転車だともっと距離があったりする(直線距離じゃないから)。心折られます。歩きのお遍路と自転車お遍路両方なさった方に聞いたら、歩きの方が楽だという声も。笑 でも今回真夏日だったからなぁ、もしかすると春とか秋とかならそこそこの涼しさで苦にならないかも、、、いや、そんなことないっすね。きっと辛いっす。笑 何回もお遍路回ってる人いるけど、僕にはできない。ガチな人の信仰心すごい。
以上、お遍路でのtakeawayでした。最後ドMにしかおすすめしないと書きましたが、それでもおすすめしたくなる素敵な文化だと思います。世界遺産認定も狙ってるようなので是非応援しましょう!
というわけで最後に、南無大師遍照金剛。