It's K's life.

けーくんの備忘録です。2018年夏からケンブリッジのMBAに行きます。三島由紀夫と海老蔵に似てます。

ホームレス・アラブ女と一夜を共にしてみた。

皆さんCouchsurfing(https://www.couchsurfing.org/)ってご存知でしょうか?

 

こちら、旅行客向けのサービスで、自分の家を旅行客に提供してもいいよって人と、地元の人の家に泊まりたいっていう旅行客を繋げるものです。

 

僕は昨年ヨーロッパを一周した時もこのサービスを利用して大分助かったので、自分自身も宿無し旅行者を助けようと、「旅行者宿泊可能」としてアンマンの我が家を登録していました。

 

アンマンに来てから2か月、特に宿泊希望もなかったのですが、昨日、初めて旅行申請がありました。

27歳女性、ヨルダン人。宿泊希望理由「仕事を辞めて家が無い。」

 

えーっと、これはどういうことですかね(?_?)

 

普通若いアラブ女性が一人で誰かの家に来るとかないんですよね。ヨルダンはかなり発展していますが、やはりイスラム教国。女性は女性らしく、を重視する国です。

何だか危険な香りがする…とも思ったものの、Couchsurfingにおける彼女へのユーザーの評価は極めて高いんですよね。

 

アラブ女性を家に泊めることも一生無いだろう、えいや!と思っておうちに招待してみました。

 

 

待ち合わせ場所に行ってみると、超ウェスタナイズドされた、一件アラビーとは思えない女性がいます。しかも、男性と一緒にいます。あれ?二人とか聞いてないぞー。と思ったのですが、紹介されて愕然。「この人元旦那なのー。仕事探しを手伝ってくれてて…」

 

結局元旦那は家に荷物を運んで帰っていきました。日本アニメ好きなとってもナイスガイ。何故別れたのかこの時点では謎でした。

 

さて、そういうことで、彼女の身の上話が始まります。

 

彼女の名前はラウア。28歳ヨルダン人。女性。

父はパレスチナ人、母はシリア人。彼女自身、イスラム教徒ということです。けど、酒も飲むし、タバコも数。スカーフはしない。露出もアラブ人女性にしてはかなり高い。

父がとてもリベラルな人で、その影響を受けて自分も男みたいに育ったということです。

ヨルダンに生まれたものの、母の故郷のシリアで幼少期を過ごしました。しかし、シリアではパレスチナ系への偏見、扱いが酷く、10年ほどしてサウジアラビアに移ったということです。

その後、再びヨルダンへ。そこで彼の元旦那、オサマと出会い、劇的な恋に落ちます。

オサマはちょっとアフリカ系の血が流れており、ヨルダン人からすると、「黒人」にカテゴライズされるそうです。そんな彼との結婚には、ラウアの家族とオサマの家族、双方から猛烈な反発にあったそうです。

ヨルダンではアフリカ系も一応ベドウィンとして扱われ、ヨルダン人とみなされています。しかし、実際には社会的な壁があり、その間の結婚は難しいそうです。

そして彼女たちは駆け落ちしました。エジプトに二人で向かい、結婚したのです。ラウア、齢21のときでした。そこで彼女たちは娘も生まれ、幸せを手に入れたそうです。

が、それは束の間でした。互いの家族が結託して二人の邪魔をし、離婚に向かったのです。しかし、オサマは彼女を愛しています。その後も再婚、結婚を繰り返し、今再び離婚状態にあります。

コーランでは3度までしか離婚は認められず、再婚は許可されていないそうです。そんな中でイスラム教徒の二人がそうした人生を営むのは非常に難しいことらしく、ラウア曰く、オサマがどんなにナイスガイで私を愛していても、苦しい時に自分を9度置いて行った彼とは、もう二度と結婚できないと言っていました。

 

ラウアの話は続きます。何故今ホームレスなのか。

彼女は結婚している時もちょこちょこ働いていました。しかし、そこには壮絶な女性蔑視がありました。ある日、上司がラウアの腕を掴んで言いました。「俺と寝ろ。旦那より絶対良い思いをさせてやる」。日本ならセクハラで訴えるところですが、ヨルダンではそれはむしろ自分にとってマイナスで、拒否していたら結局仕事を辞めることになったそうです。その後は仕事を転々。どこでも尊厳ある女性としての扱いをまともに受けることはできなかったそうです。

離婚するまではまだそれでも何とか食えていましたが、離婚してからは家がなくなってしまいました。父は亡くなり、イスラム教徒の母や他の兄弟とはソリが合わなくなり、絶縁状態になってしまったそうです。仕方なく、寮が用意されたボランティアの仕事につきますが、どこに行ってもSexualな目で男性から見られたり、酷い待遇で迎えられるそうです。

昨日まで働いていたユースホステルでは、一日15時間勤務、食事もまともに出ず、夜中も客が来ればたたき起こされ、まともに仕事をしないオーナーの代わりに頑張っていたそうですが、あまりに旅行客を見下し、騙すオーナーと大喧嘩になり、寮を出て、今に至るそうです。

彼女曰く、イスラム社会での女性は未だに「Just a hole for men」とのこと。

もうイスラム教徒であることが耐えられなくなってきた彼女は改宗も考えているといいます。改宗するとしたらユダヤ教と言います。パレスチナ人なのに、マジで言ってるの?って感じだったのですが、聞いてみると、理由は簡単。イスラエルに住めて、アメリカにも自由にいけるから。ただ、イスラム教からユダヤ教に改宗したことが知られた場合、この国では物理的に殺害されるリスクが大きいため、現実的には難しいということでした。

一見すると女性の社会進出が進むヨルダンで、彼女の人生、境遇は私にとっては衝撃的でした。

そんな彼女は今、中国人の映像専攻学生とともに、とあるプロジェクトを考えているとのこと。ヨルダンの北から南まで、ヒッチハイクで横断し、新しいアラブ女性の生き方を発信したいとのことです。スポンサーを募り、将来的には世界を旅して、アラブ女性たちにもっと自由な生き方ができるんだということを伝えたいのだそうです。

現実的には非常に難しいと思いますが、プロジェクトが形になればどんなに素晴らしいことか。彼女の輝ける将来を願い、筆を置きます。